2008年6月18日水曜日

看板だけでなく・・・

「らしくない人」で、「らしい人」でもあった。
 運輸相を務めた護氏を父に持ち、叔父は日本商工会議所会頭だった重雄氏。名門の出身だが、「いかにも」という感じは受けなかった。日経連(現日本経団連)会長時代から気さくに付き合ってもらい、その人なつっこい笑顔が忘れられない。
 製銅の専門家で、三菱金属社長として三菱鉱業セメントとの合併に尽力し、誕生した三菱マテリアルの会長に。91年5月、日経連会長に就く際には、前任会長の鈴木永二氏(三菱化成会長)と経済同友会代表幹事の石原俊氏(日産自動車会長)が、後継者として永野さんを奪い合った。このため、経団連会長だった斎藤英四郎氏が「マージャンでもして、仲良くやろうや」と鈴木、石原両氏に声をかけたという。三菱の看板だけでなく、人間としての魅力があったからだろう。
 財界人としては、とても「らしい人」だった。日経連は財界の労務部。永野さんの発言は話題を呼んだ。客室乗務員の時給制採用を計画した日本航空を批判した亀井静香運輸相に「あさってを向いている」と応酬したり、春闘を前に「ベアゼロ」「賃下げ」と刺激した。物づくり一筋の人らしく、高コスト構造による日本の産業空洞化を深く憂慮していた。
 ただ、「歯に衣(きぬ)着せぬ」と評される裏側で、「みんなが偉くなり、給料も上がればいいんだけどな」と漏らしてもいたことも、記憶に残る。
 「講演で声が続かなくなると困るし、元気でなきゃな」。訪ねるたびに、黒みつや滋養強壮剤を勧められた。「それ以上元気になってどうするんですか」と返していたころが、懐かしい。【原敏郎】
毎日新聞

 惜しい方でしたねぇ

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