2009年4月13日月曜日

看板を掲げて

13年春に鳥栖市で開業を予定する粒子線がん治療施設整備のため、同市が新設した「粒子線治療普及推進室」の看板が10日、市総合政策課入り口に掲げられた。
 事業主体の県と協力し、地元の住民や地権者との調整や用地確保のための協議を行う。同課課長が室長を兼任し、専任職員1人を含む計3人で構成する。
 施設は九州新幹線新鳥栖駅の近くで、敷地面積約1万4600平方メートル。総事業費は約150億円を見込む。【遠藤雅彦】
毎日新聞

自然に死ねれば最高ですね

2009年4月8日水曜日

看板 掛け替え

伊予市長選・市議選(19日投開票)は12日、告示される。旧伊予市、双海町、中山町の1市2町が合併してから4年。今後の街づくりの方向性を決める選挙を前に、市の課題を探った。(山田果生)
 昨年4月、同市下三谷に26年間にわたって掲げられてきた「愛媛厚生年金休暇センター・ウェルサンピア伊予」の看板が、「伊予市都市総合文化施設・ウェルピア伊予」に掛け替えられた。
 社会保険庁が整備した、11・7ヘクタールの敷地に宿泊・研修施設、プール、ゴルフ場などを備えた保養施設の買い取りに、市は一般会計予算規模の5%にあたる約7億8500万円を投じた。同市最大級の集客施設に期待するのは、合併の翌年発表の総合計画に盛り込んだ「伊豫國(いよこく)あじの郷(くに)づくり構想」の核施設としての役割だ。
 同構想は、旧伊予市のカツオ節、旧双海町の海産物、旧中山町の栗をはじめとする農産物など、合併で集まったバラエティー豊かな“味”で人を呼び込み、地域の活性化を狙う。市はウェルピアを、「伊予の食情報の発信地」と位置づける。
 だが、「食情報」と言えるのは、宿泊施設内のレストランが提供する地元食材を使ったメニューや、数か月に1度開く特産品の紹介イベント程度。レストランを何度か利用したことのある市内の主婦(56)ですら、「食をテーマにしていたなんて知らなかった」と話す。
 市営となったこの1年の利用客数や売り上げは、国が運営していた頃からほとんど伸びておらず、市の担当者も「食の情報についても、施設自体についても、PR不足は否定できない」と認める。
 合併後最大の買い物ですら、十分に活用できているとは言い難い状況だが、市総合計画には、市役所や消防署庁舎の建て替え、総合保健福祉センター、学校給食センターの新設など六つの大型箱物事業が並ぶ。
 6事業で総額約70億円に上る財源は、7割を国が負担する合併特例債とするが、20億円余りは市の借金となる。これまでにも市議会では、「総合計画をすべて実施すると、市財政は赤字に転落するのではないか」といった懸念の声が上がっている。
 多額の税を投入する以上、それに見合うだけの効果を要求される。不況風が吹き荒れる中、新市長、新市議は、事業の見直しも含めた難しいかじ取りを迫られている。
(2009年4月8日 読売新聞)

なんとか元気取り戻したいですよね

2009年3月15日日曜日

活動を紹介する看板

佐賀県嬉野市は「公共施設里親制度」をスタートする。市民が「里親」となって公園や道路など身近な公共空間を「養子」として迎え、ごみ拾いや除草などにあたる。住民の自発的な活動を通して環境美化の啓発を狙う制度で、第1弾として嬉野温泉公園と地元住民グループの“縁組み”が成立した。
 里親となった団体は、公共施設の定期的な清掃とともに、活動を紹介する看板を設置してごみのポイ捨てや落書きの防止を図る。市と3年間の委託契約になり、用具購入などに7万7000円が助成される。
 里親の第1号は、嬉野市嬉野町の嬉野温泉公園周辺の住民有志でつくる「クリーン湯の端」(木原靖弘代表、9人)。広く呼び掛けて18日に最初の清掃を行い、以後、月1回くらいのペースで活動する。代表の木原靖弘さん(51)は「昔から慣れ親み、愛着がある。自分たちが住む場所を、自分たちの手で良くしようという思いが広がれば」と話す。

佐賀新聞

結構かかりますよねぇ

2009年3月11日水曜日

看板に掲載

相模湖町阿津地区の春の名所となった『阿津桜』。現在ほぼ満開となり、見ごろを迎えている。阿津桜は、河津桜より咲き始めは遅いが、ソメイヨシノなどよりは半月ほど開花が早く、開花期間も長いため、今年も4月上旬まで楽しめるという。 この桜は、伊豆の河津桜を相模湖町阿津地区に植樹して阿津桜と命名。「阿津地区を河津町に劣らぬ桜の名所に」との目標のもと、阿津川の除草活動を行っている地元住民有志で構成する阿津桜推進協議会(井上重夫会長、会員18人)が中心となり9年程前から植樹に取り組んでいる。これまで、250本の阿津桜を始め、ミツバツツジや菜の花を、相模湖林間公園入り口付近と阿津川沿いに植えてきた。今年は20本の阿津桜と50本のミツバツツジを、3月中には新たに植える予定だ。 植樹費用は、県や市の補助を始め、町内の各自治体等の支援金や地元住人の協賛金でまかない、出資者の名前を桜のそばの看板に掲載。また、手入れや除草なども地域住民がボランティアで実施している。 井上重夫会長は「多くの方の協力を持ちまして、阿津桜もだいぶ定着し、毎年3月にはきれいな花を咲かせるようになりました。来年は10周年となりますので、感謝の意も含め何かイベントを開催したい」と話している。
タウンニュース

こーゆートコ行くと看板て見ちゃいますよね。

2009年3月5日木曜日

電子看板を開発

システム開発のサイバーステーション(金沢市、福永泰男社長)は商業施設などに設置する低コストの電子看板(デジタルサイネージ)システムを開発した。アイ・オー・データ機器と提携し、市販のパソコン周辺機器の一部を仕様変更して転用した。ソフトウエアはASP(ソフトの期間貸し)方式で提供する。初期投資と運用コストを抑え、主に中小企業の需要を開拓する。  専用サーバーのほか、液晶テレビなどのディスプレーに接続するセットトップボックス(STB)、動画などコンテンツ(情報の内容)を配信するソフトをセットにして「デジサイン」の商品名で売り出す。大手電機メーカーが手がける電子看板は一般に1000万円規模の初期投資がかかるが、デジサインは最も簡単なシステム構成なら31万5000円で済む。

日本経済新聞

これからはこの業界が伸びるようですしね

2009年2月23日月曜日

看板背負い街へ

世界同時不況の震源地アメリカ。大手企業も大規模なリストラに踏み切り、失業者数は増加の一途、雇用悪化は収まる気配がない。
 こうした逆境にも負けず、あの手この手で新たな職を探すビジネスマンもいる。
 「一文無しになった銀行マン」――。2008年3月に破綻(はたん)した米投資銀行ベア・スターンズで2年半、アナリストを務めたウィン・ホーニッグさん(25)が運営するブログだ。
 1週間に100時間以上働き、帰宅時間は決まって午前0時過ぎ。そんな生活が、ベア社を買収したJPモルガン・チェースのリストラで昨年9月に解雇され、一転した。時間を持てあます毎日に「同じ境遇の人を手助けしたい」とブログを始めた。
 入社後にいきなり年収7万ドル(約660万円)を手にしたウォール街の若手エリートが失業した自らの経験などをつづった内容が話題を呼び、今では同年代の若者から寄せられる人生相談の場にもなっている。
 <相談>「金融マンだった経験を生かして財務省に入りたいのですが」
 <回答>「財務省が本当に必要とする現場の知識は何か。それを知ることです」。経験に基づくアドバイスが好評だ。
 ホーニッグさん自身は小さな投資会社に再就職したものの、5月には半年間の雇用契約が切れる。「次の職が見つからなければ、大学院に進む」という。
          ◇
 「採用面接してくれたら、お金を払います」。ハビエル・プーハルスさん(43)は昨年暮れ、こんな文句を掲げた看板を体の前後に付け、厳冬のシカゴの繁華街に立って道行く人に訴えた。
 住宅バブル崩壊で、8年間経営してきた不動産会社が昨春倒産。数か月の職探しも実らず、思い付いた窮余の策だった。
 「私のような失業者は何万人もいる。差別化を図らなければ、面接にもたどり着けない」。面接相手が人事担当者の場合は200ドル、取締役・副社長なら400ドル、社長や最高経営責任者(CEO)なら800ドルと謝礼の「料金表」も作った。
 気になる反応は――。「面接は5件。でも採用には至っていない。謝礼は拒否された」。ただ本人は「創意工夫の努力は実った。何もしなければ、1社の面接も受けられなかっただろう」と満足げだ。専業主婦だった妻に仕事が見つかり、今はコロラド州デンバーで職探しをしている。
          ◇
 捨て身のアピールが功を奏した人もいる。「求職看板」を背負って昨夏、ニューヨークの金融街を練り歩いていたジョシュア・パースキーさん(48)は昨年12月、会計事務所に再就職した。米マサチューセッツ工科大学卒で、証券会社での豊富な経験があっても、1年間は職が見つからなかった。
 念願の再就職を果たしたが、実家のあるネブラスカ州に「疎開」させた妻と5人の子供との別居生活は続く。「景気はまだまだ落ち込みそう。家族そろった生活はいつになるやら」と今一つ表情も晴れない。
          ◇
 米国の失業率は1月に7・6%と、1992年9月以来ほぼ16年半ぶりの水準に跳ね上がった。ニューヨーク州の推計では、世界金融の中心地ウォール街を抱えるニューヨーク市内で失業した証券マンは08年10月までの1年間で1万6300人。09年10月までの1年間でさらに3万8000人が職を失う見込みだ。(ニューヨーク 山本正実)
(2009年2月21日23時38分 読売新聞)

どうなってしまうんだろう

2009年2月17日火曜日

警察官詰め所の看板

大牟田市が同市上官町の指定暴力団九州誠道会本部事務所前に開設準備を進めていた暴力団追放拠点施設「市安心安全ステーション」が16日オープンし、開所式をした。建物は大牟田柳川信用金庫支店ビル跡。支店閉鎖後、住民が「暴追拠点として活用してほしい」と市に要望していた。
 施設は道路を挟んで九州誠道会本部事務所の斜め前に位置する。鉄骨2階建て約370平方メートル。1階は警察官が立ち寄る詰め所となる。2階は、市安心安全課別室として地域の防犯活動の研修などに使用。また、昨年10月に発足した市安心安全まちづくり推進協議会の事務局も兼ねる。
 昨年11月の支店閉鎖を受け、住民が2745人の署名を集め、市に暴追拠点としての活用を要望。信金が市に建物の無償貸与を申し出ていた。
 開所式には関係者ら約30人が出席。古賀道雄市長が「住民の思いを受け止め、市、警察、市民が連携して地域の安全運動を進めていきたい」とあいさつ。松永康行・大牟田署長は「できるだけ多く、警察官が立ち寄るようにし、暴力団の封じ込めに力を入れたい。暴力団が存在しない大牟田の実現を目指す」と強調。最後に、警察官詰め所の看板を設置した。
 署名運動を進めてきた地元の男性(67)は「地域の安心へ向けて第一歩が踏み出せた。まだ抗争が続いており、不安はあるが、暴力団の壊滅につなげてほしい」と話していた。【井上秀人】
〔筑後版〕
毎日新聞

詰め所かぁ。暴力団ていなくなる時あるのかなぁ。